2009年09月16日
龍野と湯郷
前に私たちNPOは岡山県の湯郷温泉でもまちづくりの活動をしていると書きました。理事長のどっちゃんと副理事長のハチはそれ以前から縁あって湯郷温泉にお世話になっています。その区切り的な集大成が昨年末にオープンした「てつどう模型館」でした。
しかし、龍野と湯郷しいては兵庫県と美作はずっと以前から密接な関係にあったのです。『美作町史』によると、江戸時代、美作には龍野藩の預かり地があり、非人騒動鎮圧のために龍野藩の役人が出張しています。また、昭和初期には湯郷温泉の湯を樽詰にして神戸市内に輸出し湯郷温泉の名声を高めることになりました。戦中は美作は兵庫県学童の集団疎開を受け入れています。このように龍野(兵庫県)と湯郷(岡山県)は歴史的にも県際の交流があったのです。
どっちゃんは何かで湯郷が龍野市の商工に龍野の観光について学びにきたと書いてあるのを見たといっています(それが何かご存知の方は教えてください。もしかしたら『龍野市史』かな)。
他にも龍野と湯郷の関係を示すものに、なんと先日の『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』があります。寅さんが帰京する前日の宴会のシーンでぼたんが次のように言います。
「もう明日帰んの? 止めとき。
市役所の車でさ、みな、パァーと湯郷温泉に行こうよ。楽しいよ!」
かつて龍野から湯郷温泉にみなで繰り出すという習慣があったのです。しかし、今ではそういう言葉は聞かなくなりました。その一つの原因にJR姫新線が、管轄の違いから姫路‐津山間の直通列車が無くなったことがあるでしょう。
また、その影響もあると思いますが、観光のルートが龍野は姫路観光のついでに位置づけられ、龍野観光の後に湯郷という図式が無くなってしまいました。
私たちNPOはかつての龍野と湯郷の関係を取り戻し、観光や商業において相乗的な地域活性化を図ろうと考えています。すでに一地域での活性化は限界にきており、地域間の連携によって新たな展開を探りお互いに地域活性化を進めるという視点が求められています。
実はこれが「湯郷プロジェクト」なのです。
を合言葉に。(ん、なんか似たようなキャッチがあったな)
こ
しかし、龍野と湯郷しいては兵庫県と美作はずっと以前から密接な関係にあったのです。『美作町史』によると、江戸時代、美作には龍野藩の預かり地があり、非人騒動鎮圧のために龍野藩の役人が出張しています。また、昭和初期には湯郷温泉の湯を樽詰にして神戸市内に輸出し湯郷温泉の名声を高めることになりました。戦中は美作は兵庫県学童の集団疎開を受け入れています。このように龍野(兵庫県)と湯郷(岡山県)は歴史的にも県際の交流があったのです。
どっちゃんは何かで湯郷が龍野市の商工に龍野の観光について学びにきたと書いてあるのを見たといっています(それが何かご存知の方は教えてください。もしかしたら『龍野市史』かな)。
他にも龍野と湯郷の関係を示すものに、なんと先日の『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』があります。寅さんが帰京する前日の宴会のシーンでぼたんが次のように言います。
「もう明日帰んの? 止めとき。
市役所の車でさ、みな、パァーと湯郷温泉に行こうよ。楽しいよ!」
かつて龍野から湯郷温泉にみなで繰り出すという習慣があったのです。しかし、今ではそういう言葉は聞かなくなりました。その一つの原因にJR姫新線が、管轄の違いから姫路‐津山間の直通列車が無くなったことがあるでしょう。
また、その影響もあると思いますが、観光のルートが龍野は姫路観光のついでに位置づけられ、龍野観光の後に湯郷という図式が無くなってしまいました。
私たちNPOはかつての龍野と湯郷の関係を取り戻し、観光や商業において相乗的な地域活性化を図ろうと考えています。すでに一地域での活性化は限界にきており、地域間の連携によって新たな展開を探りお互いに地域活性化を進めるという視点が求められています。
実はこれが「湯郷プロジェクト」なのです。
「あっ、そうだ、龍野を歩こう!」
↑ ↓
「あっ、そうだ、湯郷に泊ろう!」
を合言葉に。(ん、なんか似たようなキャッチがあったな)
こ
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